2024.4.10号 VOL.229
暇と退屈
こんにちは。株式会社シンカの横田と申します。
新年度になり、入学式シーズン真っただ中な4月上旬、
平年より少し遅れて、都内でも桜が開花となりました。
3月に入ってから寒の戻りがあった影響で開花が遅れ、
また開花となってからも最高気温が例年より2-3度低く、
例年より長持ちする可能性があるとのこと。
日本の春の風物詩として長く咲いていてもらいたいところです。
私が個人的におすすめする都内の穴場の桜スポットは、
新宿区と豊島区の境に位置する、新目白通りと明治通りの交差点付近の高戸橋です。
神田川沿いに絶え間なく咲いたソメイヨシノと、神田川の涼しい水の流れ、
その橋を通る路面電車といった、3つの風景を1度に収めることができます。
小中高大と、写真を撮ったり、友達と見に行ったりした思い出があり、
今年も綺麗に見えるだろうか、と思いをはせています。
皆さんの思い出に残っている桜はどんなものがあるでしょうか。
それでは、『 真価と進化 2024.4.10号』、最後までお付き合いください。
暇と退屈
先日、Xであるポスト方法が流行したことをご存じでしょうか。
Xで動画をポストする際、本体の動画を直接投稿するのではなく、
一部を切り取った1秒の動画を動画の先頭にポストすることで、
そのポストがおすすめに乗りやすくなる=拡散されやすい、という現象です。
Xはポストの動画を自動で読み込むという設定をすることが可能であり、
その場合、1秒の動画であればそのポストをスクロールして見ただけで
最後まで動画が再生されたという扱いになります。
この視聴維持率が高いことが、有益なポストと判定するアルゴリズムの一つの基準らしく、
自動で他の人のおすすめに出てきやすくなるなどの現象を生むようです。
バズるという言葉が人口に膾炙してからずいぶん経過しますが、
どんなことでも流行にすることができるSNSの力に改めて驚嘆しました。
こうしたメディアの力について実感するたび、
私はいつも、「欲望は企業によってつくられる」ことを思い出します。
経済学者ガルブレイスの提唱した依存効果という概念では、
消費者の欲望を満たすために商品やサービスが生まれるわけではなく、
生産する企業の働きかけで消費者の欲望が喚起される現象、と説明がされております。
産業革命以来、近年ではAIの登場でより豊かになり、退屈を手にした私たちは、
そうした企業の働きかけで明日の欲望を呼び起こし、満たして退屈を紛らわせます。
『暇と退屈の倫理学』という本では、そうした退屈を手にした人が、
どうやってその退屈と立ち向かってきたかを、哲学者の論を引きながら論じています。
豊かになって何もすることがないという欠落感、
そうしたものにあるとき、人は没頭を渇望する。
熱中することで、「これをしたら幸せになれるか」という本質的な問いを回避する気晴らしになる。
熱中に必要なのは、自ら積極的に苦しみが得られること。
部屋に閉じこもっていれば楽なのに、苦しみによって昨日と今日を区別する刺激を得ることで、
何かをする理由が得られて、何もする理由がない退屈を避けられる。
企業はそんな人間の本質的な退屈に対して、
没頭できるものをプロモーションして暇を埋めさせようとします。
退屈が怖い我々は与えられた気晴らしで暇を埋めるが、
果たして与えられた気晴らしで熱中できるのか。
これからの時代、より退屈になる現代社会にいかに向き合うか、
自分の姿勢を問われる一冊です。
▼國分功一郎『暇と退屈の倫理学』
https://www.shinchosha.co.jp/book/103541//
編集後記
10年ほど前の著作ですが、20年代の消費活動をまさに言い当てています。
特に「推し活」はこの気晴らしにピタッと当てはまっていると感じており、
実態は00年代のオタク活動と何も変わらないのにも関わらず、
メディアで喧伝されつくられた活動ととらえています。
全ての事象が自分の意志ではないと思うと自己効力感が毀損してしまいますが、
春の桜を綺麗だと思う気持ちだけは自分の心だと思いたいところです。
それでは、次回もお楽しみに!
横田 悟