2024.4.3号 VOL.228
「信じる」ということ
こんにちは。株式会社シンカの分部と申します。
突然の春の訪れに、若干のとまどいを感じつつも、
暖かい日差しをあびて、自然と気持ちが高揚する気がします。
・・・というのは、実は自律神経が影響し、不安定になりやすいようですので、
皆様、くれぐれもお気を付けください。
情報過多の時代、簡単に世界中の人とつながれる時代
。
だからこそ、自分が「信じる」ものをみつける力が問われています。
それでは、『 真価と進化 2024.4.3号』、最後までお付き合いください。
「信じる」ということ
29年前の3月20日、東京を震撼させた地下鉄サリン事件が起こりました。
14人が亡くなり、6千人以上が負傷され、そしていまも後遺症に苦しんでいる方がいるという前代未聞の凶悪犯罪。
首謀者の他、高学歴で優秀な理系人材が幹部として所属し、事件の実行犯として関与していました。
なぜ彼らはあのような史上最悪な事件を起こしてしまったのか。
29年の間に、真相解明のため様々取り調べや調査等行われてきたものと思いますが、
首謀者の真意はわからないまま刑の執行を迎えました。
ある元信者の言葉に、以下のような発言がありました。
・信仰で現実を見失い、過ちに気づかなかった。バカだった。
・おかしいと違和感を覚えても、麻原は絶対的な存在。逆らえなかった。
・あの頃、自分に指示されていたら実行犯にもなっていたと思う。
「信じる」こと自体は、人がよりよく生きるうえで必要不可欠なものと思います。
自分に自信をもったり、成功を信じて挑戦したり。
相手を信頼して安心を得たり、互いの信頼関係から幸福感を得ることができたり。
しかしながら、いつのまにか「信じる」ことが「妄信」となってしまう可能性も秘めています。
妄信とは、わけもわからず、深い考えもなくみだりに信じることですが、
気づかないうちに、日常の中に、ひそんでいるように思います。
そして一番の怖さは、少し感じた違和感を
「間違っているのではないか」と言葉に出せない環境であること、
なのではないかと思います。
・小学生の頃、友達同士のちょっとしたことから派閥ができてしまい、
何かおかしいと思いながらも勇気がなくて言えなかったあのとき。
自分にとっての社会は、学校のクラスがすべてであり、狭い世界の中では、
出る杭になる勇気がありませんでした。
・皆が同じ目標に向かって努力しているときに、
その方向ではないのではないかと、どこかで違和感を感じているにもかかわらず、
言い出すことができず、そして後戻りもできず、
結果、皆を苦しめてしまった経験。
凶悪事件を起こす心理と、自分自身の小さな出来事を比較すること自体はおかしいものの、
信じたい、でも信じられない、でも信じていたい、という無限ループの思考停止状態に陥ってしまう、
根っこにある人間の心の弱さは、どこか他人事とは思えない気がしてしまいます。
「信じるな、疑うな、確かめろ」という言葉。
ブッダは、「見たことや聞いたことに依存してはならぬ。むやみに信じるな。自ら確かめよ」
と説いたそうです。
自分の見えている世界がすべてではなく、視野を広く持ち、
自分の目で体で真実を確かめることが大事なのでしょう。
その努力を怠り、依存することから妄信が始まるのかもしれません。
きっと、信じた先の答えが何なのかは生涯見つからないように思いますが、
あきらめずに自分で探し続ける行為そのものが自身を強くしてくれるのかもしれません。
編集後記
信じるという名の妄信における一番の恥ずかしい思い出は、
「勝手に携帯をみて、傷ついた経験」です。
若気の至りでしたが、自ら傷つくことをあえて探しにいき、
そして案の定、傷つくとは、愚かですよね・・・
ブッダに言わせると「確かめること」が大事ということなので、
結果的には間違ってなかったということにしたいと思います。笑
それでは、次回もお楽しみに!
分部 理恵