シンカメールマガジン
『 真価と進化 』

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2021.10.13号 VOL.108
ラクロスとわたし

こんにちは。株式会社シンカの村井と申します。

学生三大駅伝(10月出雲駅伝、11月全日本大学駅伝、1月箱根駅伝)の開幕戦
である出雲駅伝が2年ぶりに開催しました。(※例年体育の日に開催)
駅伝の季節がやって来た!とスポーツ行事を通じで季節感を感じること。
当たり前の日常が少しずつ戻っていることを実感できることは、とても
ありがたいことです。

それでは、『真価と進化 2021.10.13号』、最後までお付き合いください。



ラクロスとわたし


学生スポーツで駅伝や野球は有名ですが、「ラクロス」をご存知でしょうか。
なんとなく知っている人でも棒の先に網がついてるスポーツみたいな曖昧な
認識ではないでしょうか。

■日本ラクロスの歴史(誕生のきっかけ)
日本ラクロスの歴史はまだ浅く、今から35年前に当時慶應大学の学生が
「何か人と違う面白いことをやりたい」という想いから始まりました。

 1984年 慶應義塾高校の学生が、『Men's CLUB(1984年2月号)』に掲載
     されていた記事等でラクロスを知り興味を持つ。
 1986年 高校を卒業し、慶應義塾大学新1年生となる学生たちが
     駐日アメリカ大使館に問合せをする
     その約一か月後、ノリオ・エンドー氏らの協力によって、
     慶應義塾大学にラクロスチーム(男子)が誕生。
                ※引用:1986年・日本ラクロスの第一歩


大学生が主体となり始まったラクロスは35年の歴史を連ねて、徐々に認知度も
上がり多くの大学ラクロス部が体育会の仲間入りをしました。
大学から始めてもレギュラーになり活躍できる可能性、さらには日本代表を
狙えると、他のスポーツから転向するケースも多くみられます。
今では高校生にも普及が広がっています。


■ラクロスの競技は男女では別物?!
サッカーコートほどの広さのコートを1チーム10名でクロスというツールを使い、
縦横無尽に駆け回りプレーすることは共通ですが、男女で見た目もルールも
異なる点も珍しい競技です。

女子はアイガードを付け、ミニスカート風のユニフォームをまとい、クロスや
ボディへの故意的な攻撃は反則となります。

男子はラグビーのように体にタックルもあり、クロスを攻撃しボールダウン
させたらナイスプレーとなります。
シュートのスピードはおよそ140km程にもなるような格闘球技です。
そのため、アメフトのような防具とヘルメットを身に付けて行います。


■大学体育会系「ラクロス部」のあるある
<朝が早い!>
大学ラクロス部のあるあると言えば、野球、サッカー、ラグビーといった
先進の活動に後から加わった部活のため、グランドの利用できる時間が
早朝か夜間(ナイター)帯であること、朝7時前から練習を開始する学校が
多く、5時には起床し朝練に向かうのが一般的です。

<朝が早いメリット>
その活動時間帯であるためのメリットもあります。
・一限から授業に遅刻せずに参加できる
・運動部では両立が難しいアルバイトができる

しかしながら、5時起き、練習、授業にバイトという生活を成り立たせるのは
体力と自己管理、タイムマネイジメントが不可欠であり、この生活リズムを
習得できるまでが勝負ともいえます。


■頑張れる原動力とラクロススピリッツ
頑張れる原動力は何かを考えると、まだ知られていなかったこのスポーツを、
一人ひとりが自らの手でつくりあげ、広めてきた開拓スピリッツの理念や
行動規範に繋がりを感じます。

『LACROSSE MAKES FRIENDS.』

やったこともない競技を仲間たちと切磋琢磨しながら、できるようになる
ともにラクロスをプレーすることで?まれる特別な絆が、
学生主体の組織活動から繋がる他校との繋がりの絆が、
原動力のベースにあると感じます。


■ラクロスとわたし
そもそも自分がラクロス部だったことに加え、長男がラクロスにのめり込む
様子を傍でみているうちに男子ラクロスの魅力を知りました。
また、当時と変わらない学生主体の組織運営、活動の様子に触れるうちに
忘れかけていたあの頃の自分を振り返ることができました。

・新しいことに興味をもち没頭した
・できるようになるため自主的に練習を重ねた
・体育会の部となり一部リーグに昇格することを信じた
・そこに仲間がいるから最後までやり遂げることができた

「何か興味があることに没頭し、最後までやり抜くこと」
その「やり抜くこと」の意味や面白さを私に教えてくれたのがラクロスだった。
そう思います。


 <余談>
私の時代は女子ラクロスの【クロス】は木製(ウッド)が主流でした。
【アイガード】の着用ルールもなく、【試合人数】は1チーム12人制でした。
変わらない理念の中で、常に進化するがラクロスという競技です。



引用:1986年・日本ラクロスの第一歩
https://archive.lacrosse.gr.jp/history/repo/id=544

参考:日本ラクロス協会 理念・ビジョン
https://www.lacrosse.gr.jp/association/philosophy/

参考:ラクロスのルール
https://www.lacrosse.gr.jp/lacrosse/rule/



編集後記


先日、江戸川区臨海球技場で男子ラクロス学生リーグの試合を観戦しました。

この球技場の多目的グランドは私たちの現役時代からラクロスの大会で
利用された会場であり、葛西臨海公園駅から徒歩20分の道のりを歩いていると
当時の忘れかけていた記憶がはっきりと脳裏に現れるのを感じました。

今では全天候型人工芝に生まれ変わり、当時とは様変わりしていましたが、
フェンスには「江戸川区臨海球技場」の看板が当時と同じ位置に設置されており、
四半世紀の時を経て、自分の息子が同じ場所で、同じラクロスで、
ピッチに立ち、ボールを追い、激しいディフェンスをする姿を見ることに、
なんとも言えない不思議な気持ちになりました。

息子よ、
『自分がピッチに立ち、プレーできることに感謝を忘れるな!』
『この仲間たちの想いにプレーで応えろ!』
コートサイドからエールをおくりました。

それでは、次回もお楽しみに!

村井 一美